各都道府県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道
埼玉の塔(埼玉県)
所在地 | 糸満市摩文仁 |
---|---|
建立年月日 | 昭和41年11月25日 |
敷地面積 | 1,157㎡ |
合祀者数 | 28,031柱(沖縄戦戦没者 1,040柱、南方諸地域戦没者 26,991柱) |
管理団体 | 埼玉の塔管理委員会 |
塔の由来
なだらかな丸みを帯びた台座は、郷土埼玉の地形立地を象徴する。この台座に立つ高さ4m横13mにおよぶ白いバックスクリーンは、いまはなき戦没者が、こよなく愛した肉親へ願いを託し、文字にならなかった遺書を表現したもの。また、バックスクリーンの前面に立つ7体の鉄像は、故人が戦いによって生命が断れても、精神的生命、特に平和希求への至情は、植物の世界にかえって不断の生命を宿す草のように生き続け、絶えず平和な人類社会の創造へと呼びかけている姿を抽象化している。また、台座をとりまく一帯の造園は、埼玉を象徴する「まがたま」を形どっている。参道前面に数多く配置した郷土産の庭石は遺族はもとより多数の県民が、この慰霊塔とともに絶えず一体化していることを表現したものである。
《建立の経過》 碑文から
苛烈を極めた太平洋戦争が終わって21年 ふるさとを遠くいで
南海の島々に身を挺してたたかったつわものたち
限りなく祖国を愛し 若き生命を捧げた
郷土出身の戦没者2万8000余のみたまを想う
300万埼玉県民同胞は 心をこめて荒川の清流に磨かれし銘石と
本県特産の鋳物を運び 無限の生命と平和の願いを
萌生する植物の化身にうつして ここ摩文仁の丘に埼玉の塔を建立す
たおれし友あい集いて ふるさとの小鳥うたう武蔵野を
緑けむる秩父路をともに語らい 永久に安らかにお眠り下さい
昭和41年11月
埼玉県沖縄慰霊塔建設委員会会長
埼玉県知事 栗原 浩 謹書