各都道府県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道
茨城の塔(茨城県)
所在地 | 糸満市摩文仁 |
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建立年月日 | 昭和39年11月20日 |
敷地面積 | 1,324㎡ |
合祀者数 | 38,810余柱(沖縄戦戦没者 610柱、南方諸地域戦没者 38,200柱) |
管理団体 | (一財)茨城県遺族連合会 |
塔の由来
この塔の敷地は1324平方メートルで庭園式になっており、塔は3.72平方メートル、高さ30センチメートルの台の上に、2.7平方メートル、高さ60センチメートルの塔石をのせ、さらにその上に平和を象徴する直径1.3メートルの球が置かれている。塔は、すべて郷土産の稲田の御影石が使われ、台石、塔身、球ともすべて本磨きである。
塔身の中はくりぬかれて、中に45センチメートル四方の銅板製の二つの箱に、沖縄をはじめ南方諸地域で戦没した3万8000人余りの英霊の名簿や多くの遺品および遺族・県民から寄せられた香華料の名入れの封筒が密封されて納められている。
「茨城の塔」の文字は、当時の岩上二郎知事が謹書した。
《建立の経過》 碑文から
この塔は太平洋戦争において本土防衛の防波堤となって
沖縄の戦をはじめ遠く南方戦線に死闘を重ね
異郷にその尊い生命を国家の栄光の前に捧げた茨城県出身戦没者
3万8000余柱の勇魂をこの地に招き
200万県民が平和の祈りをこめて建立したものである。
諸霊の愛国の至情は仰いで範とすべく
耿々として後進を鼓舞することを信ずる。
冀くは雄魂、永くこの霊地に鎮まり
国家永遠の隆昌と遺族の繁栄に加護を垂れ給え
昭和39年11月
財団法人 茨城県遺族連合会
理事長 遠山 勇