各都道府県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道

千秋の塔(秋田県)

千秋の塔(秋田県)
所在地 糸満市摩文仁
建立年月日 昭和37年1月30日(昭和59年12月26日移転改修)
敷地面積 1,080.45㎡
合祀者数 12,432柱(沖縄戦戦没者 432柱、南方諸地域戦没者 12,000柱)
管理団体 秋田県

塔の由来

「千秋の塔」という名前は、宜野座通男氏により命名された。宜野座氏の著書によれば、「秋田にちなんだいい名前をつけたい。これが私の最大の願いであった。常磐なる松の緑と静かなるお堀の水に囲まれた千秋公園、それは栄えゆく秋田を表徴するにふさわしいところである。秋田県人であれば誰でも知っているところである」とあり、この千秋公園は秋田県が千年万年かけてゆるぎなく栄えますようにという願いを込めて、秋田藩主であった佐竹公が命名したという。

《建立の経過》

沖縄および南方諸地域で殉じられた多くの御霊の安らかならんことを願い、あわせて世界の平和の実現を祈念するため、「千秋の塔」は建立された。
現在、摩文仁の丘に建立されている「千秋の塔」は、三代目となる。 一代目は、昭和32年1月23日に沖縄県出身で秋田市に在住していた沖縄県人会の宜野座通男氏が中心となり、糸満市米須の「魂魄之塔」前に建立。その後、昭和36年秋田国体で沖縄選手団との間に友情が芽生えたのを機会に昭和37年1月30日に二代目「千秋の塔」が摩文仁の丘の「黎明の塔」前に建立され、石碑には神奈川県産根府川石、台座には男鹿産寒風石が使用された。
周囲に国や各県の塔が続々と建立されたため、敷地が狭小となり環境も劣悪となったことから、昭和59年12月26日に現在の場所に移設された。移設に際して、新たに「平和のハト」をイメージした高さ4メートル、幅10メートルの黒御影石製の後壁や台座が設けられた。

マップ

千秋の塔(秋田県)地図