各都道府県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道
宮城之塔(宮城県)
所在地 | 糸満市摩文仁 |
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建立年月日 | 昭和43年2月20日 |
敷地面積 | 996.9㎡ |
合祀者数 | 45,500余柱(沖縄戦戦没者 582柱) |
管理団体 | 宮城県 |
塔の由来
碑文の建立にあたっては、戦没者の故郷である宮城県阿武隅川のほとりから 石を選び、「宮城之塔」と名付けて石へ刻み、戦没者の追悼の意を表し、世界の恒久平和を祈念した。
《建立の経過》
いま、わが国は、経済的にも文化的にも世界に類例のないほどの発展を遂げ、われわれ国民は平和と繁栄を享受し、大きな希望をもって限りない前進をつづけている。しかしながらこの平和のかげには何ものにも代えられない尊い一命を捧げられた幾多の同胞のあることを忘れることができない。
とりわけさきの大戦に従軍し、北辺の広野に、南海の孤島に、あるいは空に、海に勇戦奮闘し、惜しくも散華された勇士は、全国で300万人、本県の戦没者は約4万5500人におよび、その多くは、望郷の念にかられながらも、いまなお戦場となった異国の地に眠り続けている。
ここにおいて10余年前から「それぞれの戦場での弔魂は不可能であるが、せめて戦没者同様海を渡り、特にわが本土を戦場から救った、今次大戦最後の決戦場、沖縄本島に戦没者の慰霊塔を建立したら」という声が盛り上り、数年来沖縄への渡航者の増加とともにその要望が高まった。そこで、沖縄本島の摩文仁の丘に180万県民の心から感謝と平和の願いをこめて慰霊塔「宮城之塔」を建立することに決定したのである。