各都道府県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道
京都の塔(京都府)
所在地 | 宜野湾市嘉数(嘉数台公園内) |
---|---|
建立年月日 | 昭和39年4月29日(平成9年12月補修) |
敷地面積 | 331㎡ |
合祀者数 | 2,536柱(沖縄戦戦没者) |
管理団体 | (一社)沖縄京都の塔奉賛会 |
《建立の経過》 碑文から
昭和20年春沖縄島の戦いに際して、京都府下出身の将兵2530有余の人びとが遠く郷土に想いをはせ、ひたすら祖国の興隆を念じつつ、ついに砲煙弾雨の中に倒れた。また多くの沖縄住民も運命を倶にされたことは誠に哀惜に絶へない。とくにこの高台附近は主戦場の一部としてその戦闘は最も激烈をきわめた。
星霜19年を経て今この悲しみの地にそれらの人びとの御冥福を祈るため、京都府市民によって「京都の塔」が建立されるにいたった。再び戦争の悲しみが繰りかえされることのないよう、また併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と有好の絆がますますかためられるようこの塔に切なる願いをよせるものである。
昭和39年4月29日
《改修工事の経過》 碑文から
第2次世界大戦が終了した当時、この付近一帯は戦火のため樹木も無く焦土と化け、トーチカの残骸のみが寂しくあったそうです。
私達の先輩が昭和39年、石垣を築いて慰霊塔「沖縄京都の塔」が建立されたのであります。それから30年余の間、樹木も繁り、付近一帯も公園として美しくなりました。しかし乍ら、風雨と植生のため、石垣の崩落と基壇の崩壊が危惧されてまいりました。
平成9年、私たちはその修復工事にとりかかり、浄財の募金を始めましたところ、多くの方々のご協力を賜わり、平成9年12月に修復工事は完了しました。
これからも、この慰霊塔が私たちの平和への願いをかなえる礎となりますことを、また此処沖縄との絆の証となりますことを祈り、且つ、誓うものであります。
平成10年2月9日
社団法人 沖縄京都の塔奉賛会