各都道府県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道
魂魄之塔
所在地 | 糸満市米須 |
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建立年月日 | 昭和21年2月(平成元年補修) |
合祀者数 | 35,000柱 |
管理団体 | (一財)沖縄県遺族連合会 |
《建立の経過》
糸満市米須集落の南方300m、海岸寄りにある。ここは沖縄戦最後の激戦地であり、日本軍も住民も米軍に追い詰められて逃げ場を失い、陸海空からの激しい攻撃を受け命を落とした人は数多い。敗戦直後、米須地区に移転収容された旧真和志村(現在の那覇市)の住民が米軍の許可を得て遺骨収集班を結成、道路や畑、丘、森に散っていた遺骨を集め魂魄の塔を建立した。合祀柱数3万5000は沖縄では最大の慰霊塔にあたるが、昭和54年2月摩文仁が丘に完成した国立沖縄戦没者墓苑にその大部分は転骨された。
なお、塔は終戦直後の石積みで素手造りであり崩れる恐れがあったため、平成元年補修され、あわせて碑文の刻板が設置された。塔の裏側には
にぎたまと なりてしづもる おくつきの
み床の上を わたる潮風
と刻まれている。