各都道府県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道

鎮魂長崎の碑(長崎県)

鎮魂長崎の碑(長崎県)
所在地 糸満市摩文仁
建立年月日 昭和41年9月吉日
敷地面積 693㎡
合祀者数 35,000柱(沖縄戦戦没者1,800柱、南方諸地域戦没者33,200柱)
管理団体 長崎県戦没者慰霊奉賛会

《建立の経過》

太平洋戦争において、沖縄をはじめ南方諸地域で戦没された3万5000余柱の御霊を祭るため、昭和40年10月15日長崎県戦没者沖縄慰霊塔建設委員会が結成され、ここゆかりの地摩文仁の丘を選び、遺族から寄せられた霊石を礎とし、慰霊碑は郷土の名石蛇紋石で建立された。
慰霊塔は、本道から約40m奥のアワ石コンクリートを敷きつめた一段高まったところに配置され、参道はガジュマルやソテツなど現地の樹花でおおわれ、碑は現地産の礎石のうえに幅2.6m、厚さ1.2m、重さ6トンの蛇紋石を置き、碑の下には3万5000個余りの霊石を埋め、蛇紋石は本土の方向にやや斜め上向きの角度をもたせ、故郷への思慕を表現した。

碑文石の追悼のことば

すぎし日の大戦により、中国大陸および沖縄以南の各戦線において、長崎県出身3万5000余名の方々がゆたかな春秋を残して散華された。祖国日本の繁栄を念じつつ国難に殉ぜられた崇高な愛国のまごころを思うとき、敬慕の情おさえ難いものがある。170万県民は子々孫々に至るまで、あげて崇敬と慰霊のまことを捧げ、ご遺徳を偲ぶよすがとすべく、大戦最後の激戦地、ここゆかりの地を選び、ご遺族から寄せられた霊石を礎とし、郷土の名石をもって碑を建立する。英霊の永久に安らかならんことを祈る。
1966年9月吉日 建立
長崎県戦没者沖縄慰霊塔建設期成会
名誉会長 長崎県知事 佐藤勝也
会長 長崎県議会議長 小柳二雄

マップ

鎮魂長崎の碑の地図