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更新日:2015/09/09(水) 11:15

平和の礎

201509リーフ_地図礎x500(1)「平和の礎」は、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として、国籍を問わず、また、軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んで、永久に残すため、平成7年(1995年)6月に建設したものです。
 その趣旨は、沖縄戦などでなくなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするためです。
 なお、「礎(いしじ)」とは、建物などの基礎の「いしずえ」を沖縄の方言で「いしじ」と発音することに由来するものです。平和創造の「いしずえ」となることを期待して付けられたものです。
 
(2)「平和の礎」のデザインコンセプトは、“平和の波永遠なれ(Everlasting waves of peace)”となっておりまして、屏風状に並んだ刻銘碑は世界に向けて平和の波が広がるようにとの願いをデザイン化したものです。
 
(3)平和祈念公園から平和の広場に通ずるメイン通路は、その中心線が6月23日の日の出の方位に合わせて設置されています。6月23日は沖縄での組織的戦闘の終結した日で、沖縄県では「慰霊の日」と定め、県民の休日となっております。慰霊の日には、平和祈念公園で全沖縄戦没者追悼式が開催されます。
平和の礎 平和の灯
(4)メイン通路の奥には平和の広場があり、中央には「平和の火」が設置されています。この「平和の火」は、世界の恒久平和を願い、沖縄戦で米軍が最初に上陸した沖縄県座間味村の阿嘉島で採取した火と、広島市の「平和の灯(ともしび)」、長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合わせ、平成7年1995年6月23日の「平和の礎」除幕式典において、ここに点したものです。
 種火は、平和の広場の地下に大事に保存しております。
 
(5)「平和の礎」には、沖縄戦で亡くなられた、一人ひとりのお名前が刻まれております。
 ただし、沖縄県出身者については、昭和6年(1931年)の満州事変に始まる15年戦争の期間中に、県内外で戦争が原因で亡くなられた方々が刻銘されております。
 刻銘の方法は、それぞれの母国語で表記しており、国別、都道府県別となっております。
 
(6)平和の礎 刻銘者数
       ( 刻銘者数は毎年慰霊の日に合わせて追加・修正等されます )
   平成27年度「平和の礎」刻銘者数
出身地 平成26年度
(6月23日現在)
平成27年度 平成27年度
(6月23日現在)
追加刻銘者数 削除者数
日本 沖縄県 149,329 33 149,362
県外都道府県 77,380 54 32,77,402
小  計 226,709 87 32 226,764
外国 米国(U.S.A) 14,009 14,009
英国(U.K) 82 82
台湾 34 34
朝鮮民主主義人民共和国 82 82
大韓民国 365 365
小  計 14,572 14,572
合   計 241,281 87 32 241,336
※削除の理由:刻銘の重複
 
 
(7)刻銘ゾーンは、平和の広場に向かってメイン通路の左側が沖縄出身者、右側が他の都道府県出身者、右手のサブ園路の奥側が外国出身者の刻銘ゾーンとなっております。
 沖縄県については、戦没者の数が多いことから、市町村別、字別に刻銘しております。
 また、県内出身者は、名前がわからない場合でも刻銘されております。これは、戦後50〜60年という長い期間が経過したために名前が判明しないこと、沖縄戦で戸籍簿が全て消失したことが大きな原因となっています。
 下の例のように刻銘したのは、名前の分かっている方との続柄などを表示することで、名前は分からずともその方々が生きておられた証となると考えたからであります。
平和の礎 刻銘
A-5 東側面 読谷村
1枚目
左6列目
上から14段目
長浜功松の長女
2枚目
左3列目
下から5段目
松田ヒデの子
2枚目
左4列目
一番下の段
伊波フミの子
 

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