福岡の塔(福岡県) クリックで敷地内の写真が表示されます

2 建立年月日 昭和41年12月10日
3 敷地面積 736 平方メートル
4 合祀者数 4,015柱 (沖縄戦戦没者)
5 管理団体 福 岡 県
6 建立経緯
祖国日本防衛のため、沖縄戦の苛烈を極めた戦闘において犠牲となられた福岡県出身戦没者に、県民の感謝と追悼のまごころを結集し、建設にあたっては、用地(児島氏)・庭石(粕屋郡志免町)・県章の梅花石(西日本新聞社民生事業団梅花石顕章会)・ツツジ(西日本植木農業協同組合)・国旗掲揚塔(沖縄福岡県人会)などの寄付をしていただくとともに、沖縄県遺族連合会・沖縄県戦没者慰霊奉賛会の協力を得て建立された。
祖国日本防衛のため、沖縄戦の苛烈を極めた戦闘において犠牲となられた福岡県出身戦没者に、県民の感謝と追悼のまごころを結集し、建設にあたっては、用地(児島氏)・庭石(粕屋郡志免町)・県章の梅花石(西日本新聞社民生事業団梅花石顕章会)・ツツジ(西日本植木農業協同組合)・国旗掲揚塔(沖縄福岡県人会)などの寄付をしていただくとともに、沖縄県遺族連合会・沖縄県戦没者慰霊奉賛会の協力を得て建立された。

昭和41年2月 県議会において建設決定 昭和41年6月 予 算 決 定 300万円(予算額) (建設費 800万円、一般寄付 500万円) 昭和41年8月 工 事 着 工 昭和41年12月 5日 竣 工 昭和41年12月10日 除幕式・追悼式
7 慰霊の塔改修・整備について
沖縄戦線における戦没者の御霊に追悼の誠を捧げるとともに、悲惨な戦争体験も年々風化しつつあると言われている今日、再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、平和の尊さを次の世代に引き継ぐため、終戦50周年(平成7年度)事業の一環として改修・整備を行う。
昭和39年 児島作右衛門、児島甚三郎両氏から土地寄付の申し出 昭和40年12月 県議会で鵜崎知事が建設の意向を表明 昭和41年3月 「沖縄県慰霊塔建立委員会」発足(会長 鵜崎知事) 工事費 800万円(県補助金 300万円、一般寄付 500万円) 昭和41年10月 着 工 昭和41年12月5日 竣 工 昭和41年12月10日 除 幕 式 昭和45年11月20日 寄付受納し県有財産となる
8 福岡県沖縄地域戦没者追悼式
平成18年1月27日(金)
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9 鯉のぼり掲揚
こどもの日慰霊塔・碑鯉のぼり掲揚事業
平成17年5月1日、全都道府県の慰霊塔・碑に鯉のぼりを掲揚しました(11日まで)。
これは、戦没者がふるさとの父や母、子供たちのことを案じながら亡くなられたのではないかと、戦没者の慰霊と子供たちの健康を願って、各都道府県や遺族会の全面的協力のもと、送っていただいた鯉のぼりを沖縄県在住各都道府県出身者と地域の子供たちが力を合わせて掲揚したものです。
10 その他情報
これは、戦没者がふるさとの父や母、子供たちのことを案じながら亡くなられたのではないかと、戦没者の慰霊と子供たちの健康を願って、各都道府県や遺族会の全面的協力のもと、送っていただいた鯉のぼりを沖縄県在住各都道府県出身者と地域の子供たちが力を合わせて掲揚したものです。
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10 その他情報
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参 拝 ◎千羽鶴奉納 福岡県・修学旅行生の皆さんが、平和を願い千羽鶴を供えてくれました。(H17年6月) |