新潟の塔(新潟県) クリックで敷地内の写真が表示されます

15新潟の塔(新潟県)01
1 所 在 地   沖縄県糸満市字摩文仁
2 建立年月日  昭和50年12月28日
3 敷地面積    763 �
4 合祀者数    41,960柱
            (沖縄戦戦没者 1,117柱、南方諸地域戦没者 40,843柱)
5 管理団体    新潟の塔奉賛会

6 新潟の塔の概要   
 (1)慰霊塔本体
    本体原石  新潟県安田町産出みかげ石
    大きさ    横4.5m×縦2.5m
    揮毫     新潟県知事 君 健男
 (2)台石
    台石原石  新潟県安田町産出みかげ石
    高さ     1m
 (3)その他
    祭壇、火炎型土器式灯明台、地図入碑文、神前型碑前灯籠、手洗石、線香台、造園工事
 
7 建立の経緯
   沖縄戦で亡くなった新潟県出身者の慰霊塔を建設する動きは昭和40年代始めからあった。
   しかし、本土復帰前の沖縄に慰霊塔を建立した場合、その維持管理が困難であること等の理由により、
  沖縄戦も含めた全新潟県出身戦没者や長岡空襲の戦災死没者等の慰霊碑を新潟県内に建立すること
  となった。
   そして、昭和43年3月、新潟県護国神社境内に全額県費で新潟県戦没者慰霊碑「平和の礎」が建立さ
  れた。   
   その後も、沖縄に慰霊塔を建立する動きはあったものの、「平和の礎」建立の経緯もあり、沖縄への戦
  没者慰霊塔建立は進展しなかった。
   一方、その後、各県が沖縄に慰霊塔を続々と建立したことから、沖縄に慰霊塔がないのは新潟県のみと
  なってしまった。
   また、昭和47年の沖縄本土復帰を機に、沖縄を訪れる県民も増え、沖縄に慰霊塔建立を求める県民か
  らの新聞への投稿も相次いだ。
   このような状況を踏まえ、昭和50年6月定例県議会で、君知事は「沖縄の慰霊塔建立に関し、県主体
  ではできないが、側面から適当な援助を考えてまいりたい。」と答弁した。
   これを受けて、昭和50年10月に新潟県議会議長を会長とする「沖縄に新潟県の慰霊塔を建てる会」
  が設立され、沖縄に沖縄戦及び南方諸地域の戦没者の慰霊塔を建立すること、その名称を「新潟の塔」と
  することなどが決定された。
   早速、市町村等を通じた県民への募金活動が始まり、新潟県も建立費の一部を補助することとなり、昭
  和50年12月、慰霊塔本体及び参道が竣工し、翌年1月に新潟県知事及び沖縄県知事も出席して除幕式
  が盛大に挙行された。
   さらに、昭和51年11月末に付帯構造物及び造園工事等が竣工し、「新潟の塔」の全工事が終了し、同
  年12月に竣工式が挙行された。
   以後、「新潟の塔」の維持管理と慰霊祭実施は「新潟の塔奉賛会」に引き継がれ、昭和53年以降、11
  月に沖縄の摩文仁の丘で慰霊祭が毎年開催されている。 
 
8 新潟の塔慰霊祭
  平成17年11月15日(火)
15新潟の塔(新潟県)02 15新潟の塔(新潟県)03
15新潟の塔(新潟県)04 15新潟の塔(新潟県)05
15新潟の塔(新潟県)06
 
9 鯉のぼり掲揚
   こどもの日慰霊塔・碑鯉のぼり掲揚事業
   平成17年5月1日、全都道府県の慰霊塔・碑に鯉のぼりを掲揚しました。(11日まで)
   これは、戦没者がふるさとの父や母、子供たちのことを案じながら亡くなられたのではないかと、戦没者
  の慰霊と子供たちの健康を願って、各都道府県や遺族会の全面的協力のもと、送っていただいた鯉のぼ
  りを沖縄県在住各都道府県出身者と地域の子供たちが力を合わせて掲揚したものです。
15新潟の塔(新潟県)07 15新潟の塔(新潟県)08
 
10 その他情報
    千羽鶴奉納
    修学旅行生の皆さんが、平和を願い千羽鶴を供えてくれました。
15新潟の塔(新潟県)09 15新潟の塔(新潟県)10
ezLog 編集